「あたしじゃないし、」でわたしがすごく感じたのは、わたし(たち)が既に「演劇(的)だと思っているもの」をひとつずつ発見し、それを外していく作業を、根気強くやらなければいけない、ということです。それは、ことば、からだ、のこと、時間、空間のことなど、いろんな要素に関して全部、丁寧に、少しずつ、lessnessに追い込んでいくのだと思うわけです。
◎【タイトルの話から、上演の話へ、そのひとつ】
Not Iを上演したい、岡室美奈子さんの新訳で、と思って、丁度クリスマスの日に、「タイトルはどうする?」と聞かれて、最初はNot Iでいいのだと思ったのだけど、岡室さんから「わたし(私)ではありません(。)」というのはどうか(※表記)、とかいろいろ話をしているうちに、ああ、これはダサいタイトルをつけなければいけない、と思ったのだ。(※ダサい)
それで、年末年始の間、タイトルを考えていて、主語は「わたし」ではないな、とか、きちんとしたことば(タイトル)ではないな、とか思ううちに、「あたしじゃないし、」というのにしようか、と思って、次の翻訳のミーティングの時に仮題として「あたしじゃないし、」を持っていったら、翻訳の岡室さんがイメージを共有してくださって、それで、これでいいのかもしれない、と思って、それでこのタイトルに決まった。
このとき私が考えていたのは、いかに「必死にいい加減に喋るか」ということだ。まったく同義の言い換えにはならないけど、演劇的に(演劇だから)うまく喋ることをやめていく、という作業だと思う。
それで今回、稽古INする一ヶ月前くらいにもう少し具体的にそのことを考え始めたときに、音楽のように言葉を進行させることはできないだろうか、ということを思った。音楽は、(上手下手に関わらず、といってもいいかも)いとも簡単に時間を進行させるのに、ことばは、しかも多分、「演劇」のことばは、すぐに停滞してしまう、ということが私をイライラさせて、それで、演劇のことばを音楽のようにしたいと思った。
最終日のカフェ・トークの中での宮沢さんの発言(質問)は、私にとってはまだ「答え」が出ていないことだったので、だから、宮沢さんの言葉を、少し私はとっておきたくて、私の中に、それはズルイ発言だったのかもしれないけど、「ブログに書く」という反射につながったのでした=というか、次の作業に続けていく、ということだったのだ、そもそも「言葉で答える回答」は今の私には少なくともなくて、でも、そのことの問題意識は少なくとも自分の中には確実に存在しているのです。
「ブログに書く」と言ったのだから書かなければいけない、というよりも、あの発言自体を自分がいかに真摯にうけとるべきかを考えたあげく、うまいことばでは表現できないかもしれないけれど、今、自分の思っていることを少し書いてみようと思いました。
内容的にも、多分、とても読みにくい文章になっているし、ことばが全然足りていないので、ただ、これからも、このことへの関心は持っていると思うし、こうやってそのことをことばにしていくことは何かの折にはやっていこうと思います。
川口智子